人間になろうとする物語、人間である事を尊重する物語、人間である事が人間でない事より優れているとする物語、そして人間と呼べないものが一人の人間に昇華する様を美談として描く物語。
これらは全て最悪の代物で、表現の自由を無視して良いのなら一刻も早く消し去ってもらいたい―――もちろん表現の自由がある以上、これらもまた尊重されなければならないのだが。

この子の人格を尊重してやってくれ!
かれはにんげんなんだ!


チャーリィ・ゴードンのこの名台詞の意味を吟味しないうちから、人間性の獲得を美談として描ける無神経さは笑い話ですらある。
そこら辺の、「人間として」賞賛されているヒーローがこんな事言っても、ちっとも重くない。
むしろ人間の定義を決められさえする側が叫んで何になろうか?単に上から目線で施しを与えてやった、と言う傲慢な話であり、勧善懲悪として描くなら、むしろそいつこそが悪の親玉として裁かれるべきだ。
何故ならそいつの言う人間とやらを冒涜したのは、他ならぬそいつ自身だからだ。
ちっとも正義じゃない、ガイアの主題歌に乗せて「力任せの邪悪な願い」とでも評しておこう。
人間でありたいという願いは、明確に人間外のものとして扱われたチャーリィが叫んでこそ、初めて重みを得るのだ。
彼の信念は、安っぽい正義の味方の、分かりやすい的を撃ち落とすだけの粗末な正義とは違う。


いや俺リィルは超ストライクなんだけどね。
エイジのせいでグラヴィオンを見る気がまるで起きない。
あのシーンさ、絶対狙ってるんだよね、然るべき機関から抗議受けかねない事をやってるだろう。
そういう解釈は、本当は好みではないけれども、ともかくあの胡散臭い正義はモンコレナイトを超えかねない。



スパロボ
どう考えてもキラ様がメインじゃねーか!
駄作決定!