適当こいて作った作品だから評価できない訳ではない


某ESのオルタ感想に反応して。
そも、ゲームの歴史では急ごしらえの作品が発端となって、息の長いシリーズになった、という場合もある。*1
彼らの労苦といえば、極めて限定された条件の中で取捨選択をした、と言う事だけだ。
時間がなかったという意味では苦痛であるが、手間がいらない=楽なジャンルを選択したという意味では、手抜きであろう。
でも別に、だからプレイヤーが楽しめなかったのかといえば、そんな事も無いわけで。
例えクリエイターがどんな努力やどんな苦しみを伴って作り上げた作品でも、客がつまらないといえばつまらない。
その逆も然りじゃないのか。
すげぇ適当こいて作った適当な作品でも、面白いといわれる可能性はある、ゲーム史の黎明期には少なくともそれがあった。
よく言われる、商業主義への傾倒とか売るための作品作りとか、逆に作りたいモノを作ったんだ、とか。
それは楽しめなかった/楽しめた人間が、自身の価値観を正当化する為の後付けの方便ではないかと思う。


ぶっちゃけ問題なのは、商業主義とかなんだとかじゃなく、変な理屈で色眼鏡かけているあなたの方じゃないのかしら、と言う話。
少なくとも俺はオルタを楽しめそうに無いし。
ミリオタ魂全開の作品はたとえいかなる信念が宿っていたとしてもご遠慮したい。


いつか言ったけど、俺が面白いと思うものに理屈はなく、感性と好みとその日の気分で決めているだけなんだぜ。
俺は俺の行動原理すら言語化出来ないと思っているので、何故なのか分からなくてもいいやー。