School Days 第十一話「みんなの誠」


最低と言う概念を形にした男がいる。


なんつーか、もう、本当最低なクソ野郎という概念を、極めに極めた男だよな、伊藤誠は。
この展開を以って誠の死を真っ当なハッピーエンドと定義できる気持ちは実に良く分かる。
ものすごい勢いでクラス全員+若干名とヤった件については、言い寄ってきた向こうにもある程度の非があるとしても、
終始世界の子供に対して責任を持とうという意識を欠片も見せない点について、最低やね、としか言葉を返せない。
返せないのだが、だけど学生身分のセックスで降ろすという選択がベターである事を考えると、伊藤誠は空想だけで形作られた存在ではない、あの反応は実際のところ至極真っ当で生きている人間のそれだ、舞い上がっている世界の方が、むしろ異常なだけで。
マジでリアルに作ると「降ろせば良いじゃん」「あ、そっか」となる。
残念な事に男と女の下半身さえあれば、ガキンチョなんて幾らでも量産可能なのである、子供の命ほど軽いものも無い。
そして言葉様は終始空気が読めず、最後の最後に眸に光を灯して終わりました。
とりあえず、スクイズは果たしてヤンデレアニメなのだろうか?
ひとり携帯電話のシーンが楓様及び霧乃んを凌駕していると言う指摘があったが、自分はそうは思わない。
というか、空鍋空鍋だけでなく、黒のマーカーで先輩の顔を塗り潰し先輩を死ねと言って追い返す実に素晴らしい狂気を見せてくれたし。
霧乃んの真価は問い詰めに発揮されており、演技力の巧妙さもあって実に映えていた一方、ひとり糸電話はあまりインパクトが無い。
言葉様は終始、ただ空気を読まずに物騒なものを持ち出したり携帯電話で通話していただけだし、あれを「狂っている」と言うのなら確かにそうなのだが、俺のハートは全く燃え滾らなかった。
そもそもラストシーンで、眸に光を戻した、と言う演出自体が「これはヤンデレアニメではない」と言うスタッフの遠回しな主張だったのではないかとさえ考えている。
考えてみればこの回は散々誠の最悪な態度を引っ掻き回す回であり、物語の主軸はあくまでも誠であり、批評の全ては誠の行動に集中している、言葉様は後付的扱いを受けている感が強い。
最終回の展開にもよるが、手堅く「我が子へ」エンドに通じてしまうと、結局言葉様は発狂らしい発狂を一度も発揮する事無く終わってしまう。
このアニメのメインはあくまでも修羅場であり主人公が誠なのであり言葉はメインではない、間違ってもヤンデレという訳の分からないものを示すために作られた作品ではないのだろう。
・・・周囲の反応と、俺自身の感想に落差がありすぎていて困る。
あー、ギガンティックの最終回楽しみだなー。