オタクが文化である、ということ


前回、さらっと「オタク文化である必要はない」とか言った訳ですが。
具体的に「文化である」という事はどういうことなのか分かっていないようなので説明しますが。


近代史、特に第二次世界大戦を紐解く場合、アドルフ=ヒトラーの名前は絶対に外せない、というのはまぁ歴史を学ぶ人なら否定はしないものだと思います。
ヒトラーは下手すればA級戦犯で話題の東条英樹元首相をはじめ第二次大戦中日本で活躍した諸人物より有名で、
「社会人の一般常識レベル」と称しても過言ではないと思われますが。
このヒトラーと言う男が政治家として優れていた要素は幾つかある訳ですが、その一つに、自分の政治に文化を取り入れた、というのがあります。
例えばオリンピックが今のように国家間のイデオロギーの発露の場と形成されたのも、元はといえばヒトラーがオリンピックを自分の政治に利用したから。
同じドイツの哲学者にニーチェという過激な事を申す方が居られますが、この人の思想を湾曲した形で取り込れたことも結構有名。
ヒトラーが「分かって」いたのは、文化というものが人心を掌握する上で非常に大切なものである、という事。
モナ=リザを自分の美術館に飾るつもりであったとか、そもそも昔は絵描きを目指していたといわれるほど文化に触れていた彼だからこそ、政府のお偉いさんとは違って、民衆レベルでの支持の集め方において「文化」がどれだけ大事なものであるか、知っていた訳ですな。
だからナチ党の支持率って言うのは本当ものすごかった。
世界恐慌後の大不況を克服した、と言うのもあるが、どうやって克服したか。
それは失業者に車と道路を作らせたから、つまり、車の産業という「文化」を提供させた訳ですな。
文化を政府の宣伝広告として利用するやり方はヒトラーが初じゃない、第一次大戦中も士気を高揚する映画を流したりしていたし歴史を紐解けば幾らでも例が出せる。
件の「文化」という奴を政府が利用しようとするからには、当然それ相応の影響力があると認められているから利用する。
少なくとも百人中何人いるかも分からないような狭い産業なら、政治の道具として利用するには不適格だ。


で、オタ文化の件について、オタ文化だと広すぎるのでアニメが文化か、と言う事を前提にしますが。
自分が政府による規制を毛嫌いしているのは、そりゃエロゲやっているからレイプ魔になる訳ねーじゃん、というのもあるけれど、
結局政府が創作に干渉するとろくな事にならない、という事が、ヒトラーの例をはじめ世界の歴史では証明されているから。
だから自分は、規制強化というマイナス要素だけを跳ね除けているんじゃなく、例えば政府がアニメーターの給与が低いから一人につきナンボ出しますよ、というプラス要素を提案してきたとしても、それは跳ね除けるべきだと考えている。
こいつを受け入れると、政府にとって都合の悪いアニメは放送させない、作らせない、など、言論の自由を奪う土台が築かれてしまう。
そうならなかったとしても、アニメ産業とは政府のお偉いさんを食わせるために、今より更に悲惨な製作現場にされるだろう、恐らくその中で生きていけるのはジブリの方々や富野辺りのいわば「大御所」で、本当にアニメが文化として成り立つとこいつらは別に何も作らんでも食っていける。(本当にこういう人達が「作らなくても生きていける」というのを理由に創作活動を止めたとしたら、その時がアニメの死ぬ時なんだろう。)
藤子先生が死去された後にドラえもんを批判しだした礼儀を知らない漫画家がいるが、こいつは結局テレビという文化を巧みに掌握する事で、別に漫画を描かなくても食っていける土台を築いたからに他ならない。
それが今度は、アニメ業界全体で大規模な淘汰が行われる訳だ。
製作現場はただでさえ少ない費用を天下りの無能の為に貢がなくてはならなくなるだろうし、政府の干渉を受けて創作の場に自由は無くなる。
干渉の方向性がプラスであれマイナスであれ、創作の場に政府の発言権を与えるという事はそういう結果が待ち受けている。
・・・自分が「オタ文化は文化か否か」を議論するのが愚かしいと思うのは、この議論の場に於いて文化になりえることはどちらかと言うと「俺を認めて欲しい」という自己顕示欲以外のものを感じとれず、
文化となる事が実際どういう事か、メリットとデメリットが何なのか分かっているのか、そこら辺について具体的に突っ込んだ人間がいないから、むしろ危機感さえ覚えている訳です。
少なくともメリットよりデメリットの方が大きいとしか思えない現状、「オタ文化は文化と認められるべきではない」というのが、今日の結論。