作品は商品ではない、と考えない、道具に愛は無い、と考えない


 真に不思議な事に。
何故だか創作に関わる世界ではいわゆる商業主義的なものが、ユーザー側に忌避される傾向にあるわけです。
曲芸なんかは良い例でしょうし、売り物の意味を示す「商品」と言う意味が、作品に対する蔑称として使われる事も多々あり。
 なんつーか。
それって結局何を伝えたいのかね?
 この素晴らしい創作の世界に、金と利権が混じった汚い要素を持って行きたくないとかそういう感傷なのかしら?
それとも商業主義に立ち向かう自分は格好良い、とか思っているのか?
 確かに曲芸商法は阿漕と言えばそれまでですが、別に曲芸商法に乗っからないから別のファンに糾弾されるとか、メーカー側から以降自社の製品を買えないようになるとか、そんな事はないだろうに。
少なくとも金を落とす事を決めたのはユーザーの意志であり、煽動はされたかもしれんが回避しようと思えば幾らでも出来た筈だろう。
 というか。
 クリエイターは金儲けのために創作活動やってんですけど、何で金儲けの事考えちゃいかんのかね。
 この国は資本主義国家であり、それに則った形で経済を動かしている、それは業界だって例外じゃない。
ぶっちゃけ、利益を上げなければお話になりません。
 商業主義をまるで悪魔の行為のように嫌悪する連中は、金が無ければ人材なんて集まらないし、自分の思い描く作品をきちんと表現するには相応の資金が必要になると分かっているのかしら。
よしんば大きなヒットが出たとして、今度はそのヒットで大きくした組織自体を維持する為に更に利益主義に傾倒しなければならなくなる。
結果現場単位で働くクリエイターに対するギャラを減らしたり作品制作に大きく干渉して結果駄作を生み出してしまう、と言うのはちと違う。
利益出す為に現場を追い詰めるのは単なる自爆行為で、利益を出すという行動自体は全ての企業に於いて等しく実践されている行為であり金儲けを第一に考えるのは悪ではないのですー。
利益を追求するやり方が成功するか失敗するかの二択であり、商業主義を否定すると極端な話「売るな」って事になります。
 だから「商品」なんていう揶揄は全くの的外れで、クリエイターが作る「作品」は全て「商品」であり、金儲けの為の道具に過ぎない、と言う事です。
 でも。
 金儲けの道具だからと言って愛着も何ももてない使い捨ての駒のようにしか扱えないなんていうのもそりゃ違う。
 商品としての価値と愛着がもてるかどうかは、ユーザーの側では反比例ではなくむしろ比例していて、多くの人間に愛される作品はそれだけ商品としての価値が生み出される事になる訳です。
そしてクリエイターの側では商品としての価値と自分が作品に対して愛着をもてたかは全く別次元の問題で、金儲けの道具と考えているから使い捨ての道具のようにしか思っていないというのは違うと思うのですよ。
 まぁつまりだ。
商業主義を嫌うなら、中国にでも亡命すれば?、としか返せませんわ。
別に金儲け第一だからって、一から十までその全てが汚いとは思わないのですがねー。