さらば師匠!マスターアジア暁に死す!


今回は最高傑作といわれる45話からどうにも評判が二分されている47話まで。
ファンの間でさえ賛否両論分かれる46話以降だがしかし個人的にはむしろそれがあったからこそGガンダムのファンになったのではないかと思う。
話が長くなりそうなので色々端折るけど、まず45話でのドモンの台詞「東方不敗、あんたは間違っている!」からのくだりだが、この主張は別にドモンが傷ついて苦悩してその果てに辿り着いた答えなんかじゃない、証拠に、ドモンはそこに至るまでに地球の自然について触れてさえいない。
じゃあドモンの主張はなんだったのかといえば、「人類抹殺良くない」の、普通の一般論をドモン流にアレンジした、たったそれだけの事なのである。
師匠はドモンの言葉を受け入れるわけだが、それは発言者が自分を超えるだけの力を持ったドモンだから、と言うのが最大の理由だろう。
師匠自身、人類抹殺の目的を口にするのは伏線はあれど45話が初めてだし、ウォンとシャッフル同盟の反応を見るに誰かに口外したとは思えない、ただ一人苦悩した挙句の自己完結、独善といっちゃ独善だが、論理自体に筋は通っているのだから手に負えない。
師匠の場合はドモンと違い、ガンダムファイトの弊害を知っている訳だし。
ただそれが齟齬で、二人のファイターは理解しあっているようで、経験と言う部分で見識にズレが生まれてしまった。
もし45話で終わっていたら、恐らくGガンダムは師弟が微妙に相手の言葉を履き違えたままで終わっていただろう。
正直美しい終わり方ではない、ドモン=カッシュは、ただ大口叩くだけの正義の味方にしか見えない。
しかし46話の冒頭でそれは覆される、ドモンは師匠の言い分を、一部とはいえ受け止めてしまうのである。
それゆえの迷走、レインに危機が迫っていると知っても動けなかった、その先に在るのが、やはり何も省みない人間の姿だと知ってしまったから。
ただ、諭されるのも同時、好きな人に会いに行くのに理由なんて要らないと、好きな人と分かれなければならなかったサイ・サイシーは言う。
理由なんてどうでもいい、大切なもののために命を懸けるのが男だとハン老人は言う。
ここで初めてドモンは回答を得る、父親を人質に兄を殺せやガンダムファイトに優勝しろやと命じられ、様々なものを失い、兄と、自分を導いてくれたシュバルツを、そして師匠をその手で殺し、挙句の果てに垣間見たものはなんら省みることのない愚かな人間。
なら自分が人間に絶望するのか、そうなれば師匠の死は意味を成さなくなる。
では自分は一体どこに辿り着けばよかったのか?
結局それは、ただ一人の女のために闘うというミクロサイズの回答、正義の味方ではなく桜の味方になると決めた士郎と幾分か似通っている。
そこにいるのは伝説の英雄でもなければ無敵のヒーローでもなんでもない、ただの一人の男が突っ立っているだけだ、が、故に強く映る。
人間的な、あまりに人間的だから。
タイミングも絶妙にマッチしていて、ドモンが言うように「自由になったはず」の状態で答えを得る。
つまり以前は自由ではなかった、だが、言い換えれば受動的であれ果たすべき目的を持っていた状態でもあったという事だ、答えなどなくても、勝手に牽引される立場であったのだ。
もしかしたら機動武闘伝Gガンダム45話までは、ドモン=カッシュに答えを与える為だけの助走だったのかもしれない。
まぁ個人的に46話は肯定ですよ、ここで善悪の彼岸を覆したからこそ言いようのない魅力が生まれたと思う。