仮面ライダーディケイド 統括


うん、まぁ何に於いても感じたことは「そりゃないよ」の一語だし、面白いとかつまらないという次元を超えているものね。
とりあえず、平成ライダー10年の統括が話を終わらせないって事だというのなら、それは高寺監督から幕を切ったクウガ以降の平成ライダー全てに対する冒涜だし、そのクウガを生み出す為に積み重ねてきた仮面ライダーを無碍にする行為だもんよ。
そりゃ過半数を超えるほどプロデュースをしてきたけどさ!白倉は!
とかいうとテメェもGガン大好きだろとか言われそうだけど、俺がGガン大好きなのは、史上初のリアルロボットアニメみたいな安っぽいキャッチフレーズを使わずに、テンプレを覆した話で勝負が出来ているからだもん。
確かにGガンは、ガンダムの上っ面の部分だけは破壊したけれど、一番根本的な問いかけだけは立派にガンダムしてたじゃないの、ってのは最終話*1の内容を頭に叩き込んだ俺の率直な意見だけど、ファーストガンダムが面白いって言われている最大の要因が、あの無駄にある設定だっていうのは違うよね、「逆立ちしても神様にはなれない」とか「帰る場所がある」って台詞が捻り出せるドラマに心惹かれたからでないの?大体一年戦争の設定なんて今や殆どが後付だし、話に関わる事すら出来ない設定に魅了される人は、そりゃドラマなんか見てないわな、字面追っているだけだわさ。
ともあれ、ディケイドはそれをやらないって次元ですらなくなったんだよ。
なんていうか、昇さんが脚本をやっていた頃は、ちゃんと平成ライダーの統括に向いているんだ、って気にはなったし、番組自体が色んな意味で終わった後で振り返ってみても、やっぱ俺はファイズ編大好きだもん。
えー、公式のスパロボって比喩はたぶん間違いではないと思います。
そもそもスパロボってゲームはシチュエーション重視で、原作のキャラがどう在るかなんてのは二の次に話を作る代物だから、ディケイドにおける剣崎一真のような真似をしでかしても通ってしまうから。
って思うのは、俺はドモン・カッシュというキャラは絶対に正義を依り代に闘いはしない人だ、って確信しているからなんだけど。
ただスパロボはSLGだし、どうしても原作同士のすりあわせが上手くいかない事があるし、ブレストファイヤーでザクIIぶっ潰して爽快って面もあるけれど、ディケイドはそうじゃないよな。
剣崎一真はああゆう事をしない、っていうのは剣が好きな人は普通に言う事だと思うよ。
だってディケイド剣崎って始を普通にぶっ殺しそうだもん、それこそ「この世界から出て行け、始」ってノリでさ。
結局劇場版は見れていません、各方面でつまらないという評判が出たのと、あとそろそろいい加減米村脚本を信用できなくなったからであります。
何が問題って、ディケイドのテーマは仲間ってことに落ち着いたけれど、その仲間を得たことを肯定的に描けていないもの。
仲間を得た事が士にとっての傷にもなれば、ディケイドの為にリ・イマジネーションされた人物の否定にも繋がるって言うのは、そんな悪趣味な話を平然とやらかす神経もそうなら、そんな話をほいほい地上波に流せると判断できる神経も相当腐ってるもんよ。
それと何気に電王がオリジナル出演したのも問題だよね、当の本人たちが門矢士と出会っているはずなのに、何の躊躇もなく敵に回ってんだもん。
違う解釈も可能かもしれないけれど、渡に剣崎を出した日にはあの中にいるのはやっぱりオリジナルの良太郎でありモモタロスでありの筈だ、ってのがむしろ有力な解釈だろうし。
「優しさを失わないでくれ」にはじまるエース兄さんの名台詞は、それは見ている世界、住む世界が違う人々とさえ手を取り合えるようになろう、って意味であり、その点で自分はウルトラマンレオよりかなり好意的に解釈できる作品だと思っているんだけど、その手を取ろうとする行為自体が間違っているんだよ?ってほざくのは、子供向けの番組としては終わった倫理観だと思うんだよね!友達なんて作らない方が良いって事だから。
っつーか、これをウルトラマンに例えると、異星人と友達になるってことはその星を破壊するのと同じって意味合いだよね?だから異星人と関わらないか、そうでなければ異星人を皆殺しにしろってのが渡のロジックでない?そんなのアポロガイストなんて目じゃないほど傍迷惑な話しだし、それを正論のように考えるキャラを、曲がりなりにも*21年間主人公として機能していた役者と人物持ち出すのはマジでどうよ?・・・まぁ、キバの話をバックボーンに考えると、むしろファンガイアとの共存で何か不都合があったのかもしれないけれどさ、それって結局ターンエーで富野がやらかした事と同じよ。
この番組の最終話の後には絶望だけが待ち構えている、って但し書きをつける事だから、俺はそんなの原作者の肩書きを持った奴の仕業であっても許せないんだから、米村も白倉も許せるかって言ったら許せるはずは無いね。
だからディケイドの締めって平成ライダーの統括になっていなければ、ヒーロー物語の体裁もなしていないんだよ、文字通り「破壊する」事だけには機能出来ていたけれどね。
おじいちゃんの台詞で言い訳しているようだけれどさ、結果がマイナスである以上、プラマイゼロである「無駄」なほうが良かったんだよ。
読み直したら随分カオスな話になったな、おのれディケイド貴様のせいだ。


とりあえず思うのは、ヒビノ・ミライを演じられた五十嵐君は幸せ者だよね、って事かな。
なんでウルトラマンメビウスがちゃんと光の国の話でいられたのか、ウルトラマンで在り続けたのかを、そりゃ当の円谷プロが分かってないんだから他所が分かる筈も無いよな!
なんていうか、ディケイドはキャストの頑張りを愛でる作品で良いんじゃないかな、と。

*1:第49話だからな!

*2:あくまでも、曲がりなりにも