ウルトラマンマックス第23話「蘇れ青春」第24話「狙われない街」

平成ウルトラの異星人はとかく、「地球を汚染する愚かな人類を粛清する」という大義名分の下行動する。
こういった傾向の異星人が多いためげんなりしがちなのだが、総数から言うとさほど多くは無い。
特にティガ・ダイナは、まだ昭和シリーズの名残も濃く、侵略目的が明らかでなかったり、「侵略できそうだから侵略した」異星人も数多い。
また少数だが、そもそも交戦の意志すら存在しない異星人も存在する。
さて件のウルトラマンマックスであるが、こちらは怪獣出現の理由に地球の環境汚染があげられているだけあり、全体的に人類の愚かさを非難する傾向が強い。
その大半が地球環境を破壊した、と言うものだが・・・、都市破壊や地球環境の大規模な改造を行っておいて言うべき台詞では無いのは、いうまでも無い。
またウルトラマンダイナに登場するナルチス星人のように、明らかに地球環境と共存する上で、齟齬を起こしそうな価値観を有する者*1もおり、ウルトラの総体としてみるとこのネタがほぼ死んだ状態にあるのは明らかであろう。
何よりこのネタは、ダイナがほぼ完璧な形で答えを出している。


不完全でいいじゃねぇか、矛盾だらけでもかまわねえ!


マックスそれそのものは凡作の傾向が強く、ストーリーそのものが過去の焼き直しの多さから、後にメビウスが控えた事を考慮しても、恐らく褒められた出来ではない。
特に初期のエピソードでは人間の愚かさへの非難に対し、(主にカイト隊員が)「そうかもしれない」と前置きした後で理屈を捏ねるのが、個人的には我慢ならなかった。
恐らくそれは水掛け論であり、到底視聴者に訴えかけるメッセージにはなりえないと感じたからだ。
否定できていないのだ、「そうかもしれない」と言っている限りは。*2
ただその全てが不出来と言う訳ではなく、「第三惑星の奇跡」「遥かなる友人」のように秀逸なエピソードも存在する。
それらの中で埋もれがちなのが、第23話「蘇れ青春」である。
このエピソードは、前後に故・実相寺昭雄監督が担当した「胡蝶の夢」「狙われない街」が存在する為かなり影が薄いのだが、
特撮パートの出来の良さもさることながら、脚本それそのものも、単に人類の愚かさに対する不毛な非難になってはいない。
この回に登場する飛魚怪獣フライグラーは、やはりマックスの前置きどおり、地球環境の汚染によって誕生した事となっている。
ただ、事の経緯は他のエピソードとは多少異なり、環境問題よりはむしろ世代問題を取り扱ったように思える。
それは黒部進氏演じるトミオカ長官が、怪獣を生み出したのは我々の世代のせいであるから、我々の手で責任を取る、と言う意味の台詞に集約されているのではないか。
恐らく創作全体を見渡しても、年功序列を重んじる日本が、年長者の非を示し年長者に責任を求める内容のものは少ない。
特にウルトラのように歴史の長いシリーズともなれば尚更だ。
しかし、道理としてみれば自分の失態は自らの手で償うのが当然であり、「蘇れ青春」は、かの有名な「狙われた街」に対し、前向きな意味で照合するエピソードと言えるのではないか。
24話「狙われない街」は、メトロン星人の「再」登場、すなわちセブンの世界と繋がる要素がある為、セブンというバックボーンを置けばその点では傑作になりえる。
しかしながら、狙われない街は狙われた街の回答になりえていない。
作中に登場する人物の全てが、ほぼ一方的な意見しか述べていないからだ。*3
死者を貶めるつもりは無いが、あれの中身は、正直言って団塊の世代の愚痴か、嫌味に過ぎない。
新しい世代の人間にとっては、ただ不愉快なだけの内容だ、「中身が無い」。


我々は今、異星人に狙われるほどお互いを信用してはいません。


この言葉の通り、狙われない街はお互いを排斥し合い、故にお互いを人で無い何かと見做し続ける人間の物語となっている。
すなわち「狙われない街」は「狙われた街」の続編として、最後のナレーションの部分を忠実に繋げたと言える。
対し、「蘇れ青春」は、約40年の年月に照合し、人間は進歩するものだと描いた作品だろう。
確かにこの40年で人類は進歩したかと言われれば、そんな事は無い。
「狙われない街」で述べられた言葉が、団塊の世代の肉声であることを理解すれば、地球人単位どころか、一国家の単位でさえ、我々は今、お互いを信用してはいない、のだ。
しかし、人間は前に進むべきものであると、かつてのウルトラマンは知った。
人間は前進するように訴えかけたのが、「蘇れ青春」ではないか。
罪の重石を背負ったまま進むには難儀だ、ましてやそれが自分ではなく、先人のものであれば尚更だ。
あの話の中で、我々若い世代が傍若無人でいられるかと言えば、そうではない。
我々もいずれ年を取り、やはり同じように、自らの世代が起こした罪に対する贖罪を迫られるのだ。
世代交代を果たした日本人が選択するのは、やはりかつての世代がそうであったように、若い世代を非難するのみであろうか。
恐らくはまた同じ事を繰り返すだろう、が、それを止められるのもやはり、人間でしかないのである。

*1:第33話「平和の星」より、捨て猫を汚いと言って拒絶する行為が、地球環境の存続に適した価値観である訳がなかろう。

*2:でも何故かみんな使いたがる、便利な言葉だが危ういよ。

*3:「携帯電話」と言うツールを使用する者の立場に立った発言が何一つとしてなく、彼らをただ動物的存在と描いている事からも分かるだろう。