いや、マジで叔母風呂叩きは良くないんだぜ?


何故Nice Boat商法は不適切なのか

ピカソの絵を見ようと思って美術展を訪れたら無名の画家の入場券を購入しなければならない」場合、その対価の分配比率というか具体的な価値はどのようになるのかを検討しなければならなくなりますよね。


エロゲ脳的に言えば、本当は香ちゃんとにゃんにゃんしたかった所、見せられたのは他ヒロインのエロシーンばかりでした、って話か。
しかも肝心の香ちゃんは何枚か裸があったのと、クソガキにレイプされただけだったと言う真実、アリステメェぶっ殺す!
そんなもん幾らでも転がっているんだよ!、年増の濡れ場が見たくて燐月買った訳じゃねぇ!
・・・すげぇ下世話だ。

例えばピカソの絵を見ようと思って美術展を訪れたら無名の画家の入場券を購入してくださいといわれたようなもの。しかも抽選て、どんだけだよという話。


さておき、自分にとってNice Boat.商法が間違っていない主な根拠は「ユーザーが支払うべき代償を明確に定めている」事にある。
繰り返すけど、悪徳商法は消費者に不利になるような案件は書かない、叔母風呂だって無限の力を有している訳じゃない、限定されているからあの条件だったと見ることも出来る。
なんかまるで詐欺みたいなように書いてあるけれど、宣伝文にちゃんと抽選になるって書いていた訳で、たとえ叔母風呂だろうが美術展だろうが、その条件を明記してある限り法的に問題は発生せんよ。
問題が発生するとしたら、個人の感情論だが、感情なんて批判される側、この場合は叔母風呂にだってある。
感情を理由に批判して良いなら、単なる泥沼にしかならないよ。
だいたい「1000円払ってピカソの絵が見れる権利を購入する」のと「1000円払ってピカソの絵が見れるかもしれない抽選会に行く権利を購入する」のとでは全く違う。
前者と偽った後者は問題だけど、後者を後者と主張している限り、何ら問題は無い、そしてNice Boat.商法は終始後者だ。
後者の端的な例が宝くじだよ、あれは「一枚300円払って一億円当たるかもしれない抽選の権利を購入する」ものなのだから。
それを「ソフト一本の値段が高すぎる」というのは、価値観としてはありだけれども、それは個人の事情に過ぎないし。
「だったら買わなくて良い」と言う話になる。

アートなんてものは自分にとっては「気づき」であり「対話」であり「作品を通して作家の肩越しに"なにか"を見る」作業なんで、その作品がたとえ無料で展示されていても「良い」と思ったら良いわけなんで、むしろ抱き合わせなければ見て貰えないよ/見ないよ、という"貧しさ"のほうが問題だと思ったりします。


でもそれは(あなたにとっての)アートの話でしかない、作家の生活も、他人の価値観も、何も考慮している訳じゃない。
自分の口で言ったとおり「価値を押し付けているだけ」にすぎないよ。
現実問題、大手と言う権威で武装した奴はとんでもなく強い、それこそ痛い奴らが、純文学(実は芥川龍之介辺りの超有名所の超有名作品をあらすじしか読んでいない)を読んでいると言う事をさもステイタスのように語る通りに、名前が持っている威力はそれだけで説得力を与える。
なまじ日本人は権威に弱い、始まる前からディズニーに負け犬宣言をしたアニメ業界然り、自国の作品ではなく海外の作品ばかりを買い漁った高度経済成長期然り、「良く知らないけど、有名だから」という理由で、日本人はひれ伏してしまうのだ。
そんな環境で、無名の人間が上り詰めるのはすごく難しいんだけどね。
ピカソを例に挙げている時点でなぁ、そんな大手ばかりを注視される環境にあるから、抱き合わせ商法なんてものが発生している。
逆なんだ、アート(というかゲームにしろアニメにしろ)の世界は性質上大手の持つパワーバランスが強すぎるから抱き合わせ商法が発生する。
その「大手にしか目を向けられない」という貧しさを持って批判すると言うのなら、そもそも叔母風呂とは何の関係も無くなる。
ユーザーの「貧しさ」の問題に終始する事になるからね。
っつーか文脈の意味が読み取れんな、もし作品の良さを、抱き合わせ商法というだけで曇った目でしか見れなくなると言うのなら、それこそ貧しい考えだと思うんだが。
ともあれ、アートの観点からNice Boat.商法は批判できないと思う、のであった。