原作レイプの聖典―――ターンエーを許しはしない、と言う話


どうも、俺は俺が思うほど、機動戦士ガンダムも機動戦士Zガンダムも嫌っていはいないようだ。
Zについては、続編のZZについてもだが、ストーリー上の構成がアレであるだけで、作品評の中で完結できるものだし。
ファーストガンダムが良きにしろ悪しきにしろ、その後に与えた影響は否定しない。
少なくとも「ガンダムは作られるべきではなかった」とは思っていない。
F91とクロボンについてはそもそも否定的な見解を述べた覚えが無い。
ただ、それでもVガンダムターンエーガンダムだけは、絶対に許すつもりは無い。
Vガン嫌いなのは、ウッソの「僕らが出来なければ、次の世代がやってくれます!」と言う台詞がものすごく気持ち悪かったからだ。
聞こえは綺麗だが、言っている事は他力本願でしょ?
作品評じゃなく、倫理的に破綻してるんだよ、人として守らなければならない道義をこの台詞からは一切感じさせない。
出来ないなら出来ないでせめて引き継がせる側に何かを残す、くらいの論旨は言ってほしいものだ、失敗は成功の元というが失敗したらそれで終わる事だってある。
簡単に、失敗しても良いなんて論理を道徳的だと思うのなら、それは勘違いとしか言いようが無い。
つかこんなもの、明らかに年寄りの視点で若者を見下すオーラを漂わせているじゃん。
でもって、ターンエー嫌いなのは、ヒゲだから、じゃない。
例えばGガンダムの話、ガンダムファイトと言う制度にどこかで終わりをつけなければならなくなり、DG細胞には妙な後付設定が付与された。
ターンエーのおかげで未来世紀世界はDG細胞の災害によって破滅するらしい。
未来世紀世界は、それ自体で成立していたはずなんだ、シャッフル同盟はどうした、彼らとて無力だったのか、そんな事を設定する権限が、どこのどいつにあるって言うんだ。
ま、つまりターンエーという奴が、宇宙世紀はおろかアナザーガンダム三部作を繋げて肯定した、なんていう考え方は笑えない喜劇だ。
シャアの「ララァは私のお母さんになってくれたかもしれない人だ!」よりも遥かに笑えないギャグだよ。
それぞれの世界観に明確な破滅を突きつけた上で成り立ってるんだよ、人様の作ったモノを踏み台にして成り立ているんだ、それを肯定だなんて偽善にも程がある。
或いはアナザーガンダムの始まりとなったGガンダムが、今川監督がどうしてもやりたいと自発的に言い出したのなら良いだろうよ。
実際はどうだ?、発端は、Vガンの次を作る事を投げ出した富野の逃げじゃねぇか。
原作レイプだの、原作否定だのと言う話を去年は特に耳にしたが、はっきり言ってターンエーガンダムは、キャベツを超える原作レイプ聖典と言い切っても良い。
なんてったって、別物だと割り切る余地すら与えられず、世界観自体を、設定を、「文字通り」湾曲しやがった挙句、そいつを「原作者権限」とのたまって否定する道すら塞いだのだ。
この上ない原作レイプ!、おい、アイドル養成ゲームがロボアニメにされるより遥かに悪質だろ、これ。
作画崩壊で丸い球体をキャベツとされた事にけよりなファンはどれだけ憤慨したか、だが、ターンエーで聞こえたのは「アナザーなんかと一緒にして許せない」であった。
人様に押し付けた仕事の、その成果をこのような形で踏みにじる富野という男は見下げ果てるほどに下賎な男だと思うし、これをしなければいけない事だとか、これがGガンを作らせてしまった事に対する侘びだと言うのなら、こいつには作家の性根なんか無く、ただ他人を蔑ろにする事以外には頭を動かせられないただのハゲだろう、と。