幼馴染と言う属性における考察


幼馴染は愛されるべき存在である。
しかし、世の創作に幼馴染という属性は数多あっても、幼馴染と言う立場を意識した作品は稀である。
此処では、自分の持つ「幼馴染に必要な命題」を提示した上で、
それに何かしらの形で関わっている4作品4人のヒロインを焦点に当て幼馴染の何たるかを語りたいと思う。
以下約12KB、文章が冗長なので小さくしてます。
あといつものように反ガンダム全開なので我こそは純粋なるガンダムのファン!、とかのたまう人は見ないほうが吉。



幼馴染という存在は、概して主人公と近しい存在である、と断定するべきである。
何故なら、遠い存在は「幼馴染」という言葉の意味から離れてしまうからだ。
エロゲやギャルゲでは幼馴染は常識的に登場するし、主人公と既に友人(もしくはそれ以上)の関係が出来上がっている場合がほとんどだ。
最もスタンダードなものはTo Heartの神岸あかりやONEの長森瑞佳になるか。
主人公が見ている世界があって、その世界を根元から支えている人間は幼馴染なのであり、
主人公にとって最も日常を表しているのは、血の繋がりを意識してしまう妹よりも幼馴染である。
幼馴染には過去がある、現在がある、故に未来がある。
そして積み重ねられた日常から過去が作られ現在が生み出され未来が創られる。

忠実な存在とは―――藤枝保奈美の場合


その点ではにはに藤枝保奈美はこの命題に実に沿ったキャラクターと言えよう。
はにはには6人のヒロイン中未来人が4人もいて、現代人は保奈美と茉理の二人だけである。
だが茉理の場合シナリオの性質上マルガスに話の焦点が集中し、過去には殆ど触れられなかったため、
幼馴染に必要な積み重ねられた過去が語られずじまいであった。
その点、確実に過去の積み重ねから現在の関係を構成し、最も日常に密着しているのは保奈美である。
彼女について語るべきことは何も無い、ただ在りのままに流れる日常を謳歌するが良い。
確かな過去があり、確かな現在があり、故に確かな未来がある、保奈美は幼馴染という概念を体現した存在なのだから。

約束の意義とは―――雪亜凛沙の場合


だが逆に、長らく会えず久々に再会した存在を「幼馴染」と呼べるのか、という疑問も湧き上がらないでもない。
よつのはの雪亜凛沙がこれに該当し、彼女自身は誠(注:スクイズではない)とは4人のヒロイン中最も古い知り合いでありながら、
最も短い期間しか接する事が出来なかった存在であり、よつのはが突き詰めようとした「幼馴染」と言うテーマを明かす為のキャラでもある。
「幼馴染の定義とは」、彼女自身が尋ねる事であるが、確かに亜凛沙の場合は幼馴染と言うより単に知り合いと言えなくもない。
しかし彼女にとって厄介なのは、「再会したら付き合う」と言う旨の約束をしてしまっている事であり、
この時点で幼馴染の定義に当てはまるかどうか考えなければならなくなる。
幼馴染には、どうも「約束」が頻出してしまっているからだ。
その上で自分の考えを述べさせてもらうが、少なくとも亜凛沙は幼馴染ではない。
何故なら彼女にとっての基盤がいずれも過去に囚われたもので、瞬間の積み重ねではなく瞬間そのものを拠り所にしているのだ。
幾ら一番古かろうが、誠と最も時間を重ねてきたのは他の3人の幼馴染であるし、約束なんてモノを持ち出している時点で既におかしい。
「約束だから」今の自分の意志を捻じ曲げてでも履行しようとするのか?、愛し合えるのは「約束」があるからか?
違うだろう、本当に愛しているのなら約束なんてモノを持ち出さず今の自分の気持ちを吐露すればいいだけだ。
人は移ろい変って行く存在である以上、子供の約束なんて無効化される状況になっている場合もある。
それを律儀に守る事のメリットは何だ?、周りの人間と当人同士が本当に納得できるものがその約束とやらに詰まっているとでも?
無かろう、現在の自分の気持ちを過去の自分の気持ちに摩り替えて成就させる約束と、それが生み出す絆はとてつもなく脆い。
あくまでも過去の、しかもほんの一部を拠り所にしていて、どうして、今ままでとこれからを繋いでゆく幼馴染の関係が体現できようか。
約束である事に必要以上にこだわるのは、「先生が言うから正しい」と同じくらいの主体性の無さを感じるのだ。
・・・結局雪ちゃんは、冥夜とかと同じような存在なんよ。
昔ちょっとだけ遊んだ顔見知りの子とかと同レベル、記憶の片隅に残っている程度のものなら幼馴染とは呼ばない。
過去があっても現在がないのだから。

最も狂い、最も歪まされた世界で―――レイン・ミカムラの場合


さて、基本的に幼馴染キャラは主人公から見て、優先順位は上位に位置するキャラである事は分かるだろう。
日常を取り巻く人々がいて、その中でも飛びぬけて大切な人がいる、それが幼馴染だ、と。
この命題に忠実に従っているように見えて、とてつもなく歪に形作られた物語も確実に存在する。
それが機動武闘伝Gガンダムであるわけだ、この作品をネタアニメかギャグアニメ程度にしか見ていないへっぽこ似非SFリアルロボットアニメに汚染された連中は今すぐに腹を切るが良い。
Gガンダムの何処が歪なのか、それは、主人公であるドモンにとって大切な人間とは、既にレイン・ミカムラ一人しかいない状態で物語がはじまるところにある。
父は冷凍刑、兄はデビルガンダムを奪い逃走、一見理解者であるフリをするミカムラ博士とウルベも実はデビルガンダム事件の首謀者であるし、
ドモンの意に反して幻影を見せるテストを行うなど結末を知った上で見返すと相当に酷い事をしているのが分かる。
故に、ドモンにとって心の支えと言うべき人はレインであり、その証明として前半部は粗野な態度を押し出しつつも相当にレインを思いやっていた事が分かる。
(第8話「仇は討つ!復讐の宇宙刑事」が最も分かりやすいか。)
だがドモンは物語が進むにつれ、精神的に成長し態度も軟化、何より自分と苦楽を共に出来る仲間が増えた。
たった二人の状態で始まった物語は、ネオホンコンに入ってから相当な数の人間で埋め尽くされていた。
客観的に見て、多数の人間と交流をもてるようになったのは良い事なのだが、相対的にレインの価値は無くなってゆくのだ。
その為ゴッドガンダムに乗り換えて以降はレインを特に気遣うシーンは少なくなっており、それどころかアレンビーに意識が重点的に置かれている。
武闘家とは所詮、拳と拳でしか分かり合えない不器用な生き物。
故に武闘家同士は分かり合え、武闘家ではない自分にはそれまで感じる事が出来なかった決定的な距離があった事を知る。
これが二人の軋轢の根本を生み出しており、第40話などは幼馴染を考える上で非常に重要なエピソードとなっている。
以下、台詞の抜粋。

ごめんなさい、私バカだから。
あなたの反対側のここへ来て、やっとわかったの!
私、アレンビーやあなた達みたいにファイターじゃないから、拳と拳で分かり合えるなんて出来ないっ!
だから、なんか一人置いていかれるみたいでさみしかったの!
今は、サポートしか出来ない私でいい!
だって、だって、だって!気付いたら、私今まであなただけを見てたから!

美味しすぎ、メカアクションがウリのロボアニメでここまでしますか、と言う位に深い台詞である。
幼馴染が何かしらの理由で距離を離される事例自体はそう珍しくはない。
ONEの長森にしてそうであるし、みずいろの日和もこのタイプだろう。
ただ、主人公の中で相対的に価値が無くなってゆく幼馴染、と言うのは非常に希少である。
基本的に日常の中にある幼馴染と言う存在は尊いと気付くのに対し、その真逆、日常に埋没するからこそ価値を見失うのだから。
だがこれで終わらない、そもそもGガンダムと言う作品は世間一般で言われているほど王道ではない、むしろ邪道の極地だ。
別にガンダムとして邪道なのではない、時代に対する反抗的気質は間違いなくガンダムのものだ。
(が、今現在のガンダム的思考回路は腐臭を放つくらいにキモくてファーストガンダムの精神なんてこれっぽっちも残っちゃいない。)
邪道とは毒と言う意味だ、この業界に何らかの形で触れている人間は、Gガンダムと言う作品を完全に受け入れきれない。
何故ならGガンダムと言う作品に詰められたものを完全に解放すると、
今この業界で偏重される全ての概念が否定され、全く新しい概念が構築されるから。
話が逸れたので元に戻そう。
第40話で解決されたのはドモンの側だけ、いつでも傍にいてくれる幼馴染は大切ですよ、と、妥当な結論で落ち着く。
だがレイン自身のわだかまりは完全に消えたわけではなく、「拳と拳でしか分かり合えない」事は尾を引いていた。
それでもそのままなら普通に大団円を迎えるのだが、デビルガンダム事件の真相を知ってしまったからそうは問屋が卸さない。
「父の罪は私の罪」という思い込みから、レインはドモンを避けるまでになってしまう。
これも決して単なる被害妄想とは断じ切れず、意図的にドモンを貶めようとはしなかったものの、
テストに参加させる事(第6話のこと)はレイン自身承諾していたし、
優勝しなければ父親が釈放されない事を度々口に出しドモンにファイトを強制させる手伝いをしたのもレイン自身だ。
間違えないように記しておくが、少なくとも41話の時点でドモンは確実にレインを愛していて、レインも確実にドモンを愛している。
(レインはドモンの「聞いてほしいことがある」と言う台詞の内容をある程度予測した素振りを見せていた。)
ただ二人に足りなかったのは、それが確かなものである事が分からなかったと言う事。
だから片方は罪の意識に苛まれ、片方は突然の出来事に呆然としてしまった。
この微妙な軋轢とすれ違いが、結果的にデビルガンダム最終形態すら呼び起こしてしまう。
(ただ、「デビルガンダムを動かすのに最も適切な生体ユニットは女性」という理論から推測するに、
どうもあれは幼馴染を意識したというよりは富野作品に対するアンチテーゼだったのではないかとも思う。
あと、今川監督作品にはどうやら「罪と罰」が根底的なテーマとして流れているように思える。
Gガンダムもそうだし、ジャイアント・ロボや鉄人28号も誰かが起こした罪に対する罰がストーリーの根元に食い込んでいる。)

この一年が終わった時の事、どう思ってる?
ガンダムファイトに優勝すれば、カッシュのおじ様も、冷凍刑から開放される。
そしたら私たち、もう一緒にいる理由も無くなるのよね。
今二人でこうしている事も、みんな思い出になって、全てが消えてしまう・・・。


この台詞自体はドモンの追想の中でのレインの呟きなのであるが、非常に重要な台詞で、
幼馴染とは何なのか、他人の延長線上であるのか、共にいるのに理由は必要なのか。
幼馴染好きは率先して語るべき様々な命題が交錯している。
そして、Gガンダムと言う作品が抱え挙げた膨大な数のテーマの一つが昇華する瞬間は、やはり最終話である。

そうだよ・・・、お前と俺とで闘ってきた勝利なんだ、だから、これからも一緒でなくちゃ、意味が無くなるんだ!

告白シーンと言えばどうしても「お前が好きだ、お前がほしい!」の部分だけを(笑いものとして)誇張されるきらいがあるが、
その前に並べられたドモンの台詞の数々にはGガンダムと言う作品の全てが詰まっている気さえする。
これはその一部、幼馴染には確かな過去があり、確かな現在があり、だから、未来がある。
決してスーパーロボットの世界観をなぞらず、かといって機動戦士の亡霊を追わず、歪に構築された異端の世界で辿り着いた一つの回答。


(個人的な愚痴だが。
Gガンダムはその風評からどうしても軽視されがちであるが、
つまらない虚栄の張り合いになるガンダムよりかはずっと考察しがいのある命題に溢れている。
つか真面目な話、頼むから作品をきちんと見た上で評価してくれ。
俺が今まで見てきた中で一番まともなGガンの批評って、福田監督が口にした「ただの逃げ」なんよ?
ファンの皆様方はこぞって怒っているがね、そういう奴は師匠しか見てないんよ。
なんつーか、部分だけを抽出してぬか喜びするのもそれ見た事かと嘲笑うのもすげーむかつく。
テーマがテーマだけに幼馴染だけを抽出したが、Gガンのテーマは答えようがないほどの多様性があるので。)

日常は崩壊する―――芙蓉楓の場合


積み重ねられた過去は日常から作られる、故に幼馴染には確かな日常が常に流れている。
ではその日常が崩壊したとき、幼馴染とは何者に変貌するのか―――。
芙蓉楓―――当方では楓様とか黒楓様とお呼びしているが―――は、日常の崩壊を迎えている。
つまり、母親との死別と、幼馴染の少年がついた拙い嘘を信じてしまった事。
あの事故さえなければ(或いは楓が自閉に陥ったりしなければ)続いていたはずの日常は崩れ落ち、
陰惨で痛々しい恨みつらみが綴られる事となってしまった。
結局、自分の勘違いであった事が分かったのだが、二人の関係が修復されたとは言えなかった。
壊されたものは同じ機能を維持するために作り直すことが出来ても以前と全く同じものに直せないのと同じように、
一度崩壊してしまった日常は決して元には戻らない。
事故の前までは稟と楓は極めて普通の友人関係であった。
しかしそれ以降、カッターナイフを落されるにしろ、衣食住の何から何まで世話になってもらうにしろ、
普通の友人関係とは言えない、対等な関係ではないいどちらかが上下を形作っているかも分からない歪なものになっている。
強烈な依存心は常に狂気と隣り合わせにある。
空鍋のおかげで負の方向性ばかり取り沙汰されるが、衣食住の何もかもを用意する正の方向性にあっても楓は狂っている。
(大体、強い喪失を経験した人間なんだから自分の大切な人間が失われる事に抵抗を覚えないはずが無い。
撫子先生の「(稟が死んだら)首を吊って自殺でもしかねん」と言う台詞は相当な説得力を持っている。)
では、楓は崩壊した日常の中で幼馴染であり続けたのだろうか?
幼馴染である。
例え崩壊していても積み重ねられた過去がある、だから現在がある、変貌してしまっても共に在り続ける関係に変化は無い。
少なくとも稟と楓にとっては、二人が常に一緒にいられる世界は「日常」だから。
崩れ落ちた日常は帰らない、だが、だから幼馴染に必要な日常まで失われる事はない。
日常の形は、無数にあるから。


(あと余談だけど、罪に対する罰とか贖罪とか聞いているとレインさんを連想する。
意図したものではなく、間接的にとはいえ、大切な人の肉親を殺してしまった事に関しても共通点がある。
罪と罰が話の根元にあるのなら、相当Gガンに似通っている事になる。)


長々と語ったが、結局幼馴染に必要なものはなんなのか?
それは幼い頃の約束ではない、物語の開始から出来上がっている相思相愛でも一方通行の恋愛感情でもない。
何度も繰り返し述べているように、確かな過去が日常から作り出されて現在を形成し、未来に向かっていけば良いのだ。



見返してみると、俺はどうやらGガンの呪縛からは逃れられないらしい・・・。
でもレインさん年齢20歳が悪い意味で驚かれる外見だから(一撃必殺ライジングアローで胴体貫通)