友に捧げた大勝利

かなりまともな内容じゃん。


色々と真理を突いている側面がある。
特に冒頭の、いじめを行っている側はいじめをしていると自覚していない、など動かしがたい真実。
いじめと言う行為を解析するのに、偉い学者さんを連れてきて小難しい講義をして頂く必要などどこにもない。
単にいじめと言う行為は、子供にとっちゃ遊びの一環なのである、ただそれだけ。
中学生が自殺して以来この手のニュースが増えた感があるな。
だがね、いじめなんてものは何処の学校にでもあるし、それが原因で自殺した学生はニュースで表沙汰になっているより遥かに多いだろう。
別に頭のイカれた連中がイカれた頭で善良なる学生をいじめるわけじゃない。
まともな神経を持った人間が、まともな神経を駆使してまともじゃない人間をいじめるのだ。
ここで言うまともじゃない、っつーのは記号的なもので、いじめを行う為の口実みたいなもんである。
魔女狩りと一緒、一緒。
外見がブサイクだとか、トロいとか、頭が悪いとか、うまく馴染めないとか、クラスからちょっとでも外れた奴なんて言うのはそのクラスのトップにいるグループにとっちゃ玩具にしかならんのである。
人間性?、そんなもの、ガノタから見たGガンダムのストーリー性並みに薄っぺらいものでしかない。鼻で笑われる程度のものでしかない。だいたい人間性という言葉を使う奴が、人間性という言葉を正しく使っている場面を俺は創作・リアル両方で見たことが無い。
俺自身は小学校や中学校の頃はそりゃもういじめるグループに対して壮大に暴れまわったお陰か、向こう側ともある程度打ち解ける事も出来た訳だ。高校の時は多少悶着があったが、以降目立った騒動もなくなったし、明らかに不良な連中と普通に話す事もあったものだ。
こんな場末でオタが自堕落な独り言やガンダムに対する最大限の侮辱と憎悪を吐き捨てるサイトを、いじめで悩む児童生徒が見ているとは思わないのだが、もし見ているのなら、絶対に自殺なんて考えを持ってはいけない。
そんなの相手に笑い話のネタを与えるだけだ、もし君が自殺すれば、君のクラスメイトは君の死を未来永劫、同窓会の場で笑いながら語り合うだろう。
それならば破れかぶれで、いじめっ子のグループ相手に暴れまわらないと。卑怯だと罵られようとも武器を持つべきだ。武器となるものは台所や、筆箱の中にいっぱいある。鉛筆だって鋭利な武器だ。それを忍ばせて持ち歩くのはこの国じゃ非常に簡単だ、通学する生徒に金属探知機向けて危険物の有無をいちいち図る学校なんて無い。
そしてやる時はためらわずにやれ、相手は確実に腕力で上回っているのだから、その分を敏捷性で補わないと勝てない。
とにかく相手の暴力に屈するな。弱みを見せれば見せるほど、相手はつけあがるのだ。
だが殺しはすな、犯罪にはするな、そうなっては絶対に勝てない、犯罪者は問答無用で悪なのだ。
だからそうした騒動を経て、教師の同情をひきつけろ。
確かに生徒を蔑ろにする教師もいるが、一つの学校全てがそんなバカで埋め尽くされているとは限らないし、教員と言う輩は往々にして左翼に近い側面もあるので、かわいそうだと思わせれば勝てる見込みはぐっと上がる。結構年くっているくせに授業に出張っている先生なんかは金より教職と言う聖職に意義を見出しているか単に才能が無いかの二択で、大概前者。そしてそういう人は間違った事は正さんと気が済まない御仁だし、女性教諭なんかは同情してくれる人が多い。いじめへの同情は、世間レベルで行われるものは単なる嫌味だが、学校単位で引き起こせば大きな武器になる。
いじめられている人が成すべき事は何か。騒動を起こして、自分は今、いじめられているんだ!、と教師連中にアピールする。同情をもらう。何もしなければいじめなんてなかったと言われ続けるだけだが、看過出来ない騒動にまで発展させれば話は違う。
だが間違っても犯罪者になっちゃ駄目だし、自分が悪者と思われるような話の運びもまずい、自分が被害者の面を被る事ができれば成功だ。
表現おかしいって?、いじめられている人間が被害者になれる瞬間と言うのは教師陣にいじめの事実をアピール出来、教師がそれに反応して事態の収拾に向かった時か、それこそ自殺者として報じられるかくらいしかない。いじめられている人間は、どんな行為をされようとも被害者と認定されない。
短絡的に死を選ぶより、利用できるものを利用しつくして勝利者になれる道筋を作れ。
とにかく生き足掻け、生きている限りチャンスが来る可能性は0ではないのだ。