奇蹟を呼ぶスペル

 Gガンダム漫画版を読み終わりました。
基本的に原作を省略しつつ再現の方針ですが、
ドモンがかなり典型的なヒーローになっている。
一般的なGガンファンとしてはむしろそう在るべきなのだろうが、
ドモンの暗黒面がすげぇ気に入っているいる自分としては気に入らないとしか。
まぁ、原作以上に黒くなられても(つかアーチャーみたいになられても)黄金比から逸れて困るのですが。


あとこれに関連してガンダムXの話。
ときた先生はガンダムXの続編を「ガンダムXの魂が受け継がれている」云々言っておりますが、
これが雑誌社に言わされた台詞ならともかく本気ならマジで見限る。
(確か2巻の帯に記載されていた、かなり昔の事なので注意。)
というのも、まぁ言うまでも無い事ですが結局ガンダムXの続編ではニュータイプがまた再来してしまったわけで。
この時点で既に、ガンダムXの魂を受け継いだと言うよりは、ガンダムXの魂をぶち壊したわけです。
何でって?
じゃ訊くけど、最終話でD.O.M.E.が何故ニュータイプの存在を否定したのか?
ニュータイプははじめから存在しない、人々の幻想だ、未来を見る事は出来ても定める事は出来ない。
未来を作るのはあくまでそこに生きる人々であってニュータイプではないのだと。
ニュータイプガンダムに置き換えれば」というメタな論理はさておいて、
ニュータイプを捨て去るというのはガンダムXが辿り着いた結論であり、
だからこそガロードは強い人間のままでいられるしティファは自分が望んだ通り「普通の人間」になれた。
ニュータイプでなくても未来は作れる、それはガロードがティファの予知した未来を覆した事に端を発している。
当然の帰結、偶像などに頼らずに荒野を力強く生きられる少年は逞しい。
ニュータイプガンダムを一番うまく扱えるんだ、みてぇな選民思想宇宙世紀でやってくださいよ。
ガンダムXの続編でニュータイプをまた出したら、ティファは結局ニュータイプのままじゃねぇか!
未来を覆せるガロードの強さから意味が奪われてしまうではないか!
そもそもニュータイプの存在を否定する事自体にも強いメッセージ性が込められている訳で、これは高松監督の発言集を辿れば理解できると思います。
早い話、ガンダムXのアフターが最終的にニュータイプを受け入れるのか否定するのかどうか知りませんが、
少なくとも一瞬でもニュータイプを出した時点でガンダムXの魂を汚している。
ガンダムXの結論を、D.O.M.E.の言葉を「なかったこと」にしてしまう事で成り立つ続編、なんだぁそりゃ。
というか、俺はガンダムXのファンが果たして本当の意味でのファンであるのか疑っている。
むしろニュータイプなんて言葉遊びに釣られたからって理由のほうが強い気がするんだよ。
ニュータイプは壮大なテーマだ、なんてほざきつつニュータイプ様は唯一神富野様専用の概念なのですなんて虚勢張っていない比較的若い層がメインだと思う。
ニュータイプ論?、ハン、そんなもの選民思想の一言で片付く。
「人類全てがニュータイプになれば悲しい争いなんかしなくて済む」
「なのにどうしてニュータイプは戦争利用されたのか」
それ以前に、じゃ、オールドタイプはそれだけで生きる価値無しですか?
じゃあ、オタクってだけで生きる価値無しと判定されても文句言いませんよね?
戦争利用云々についても、それ最初に考案したのジオン公国じゃん。
大体ニュータイプが本当の意味で理想的な存在であるのか誰も議論してないのな。
無論、ガンダムが本当の意味でリアルなロボットである事についても。
穴だらけの理想を一体いつまで引きずっておられるおつもりか。
理想に抱かれて溺死しろ、なんてな。