反論がきたようです


http://d.hatena.ne.jp/n_euler666/20071110/1194699124

こういった擁護の仕方は良く見かける.例えば,ライトノベルがパクリパクラレの関係や,文章がむちゃくちゃだとか,台詞がやたらと多いとか言われたときの言い分がそれだ.(三銃士とか昔の娯楽小説も台詞が延々と続いたりしてるし,キャラを立てることにしか意識が向いていない作品が多いし,紫式部もパクリパクラレの…うんぬんかんぬん)


…だから現代でやってもいいし,そういった作品が今評価されることが正しい…のだろうか?


極論してしまえば,二本足で歩いたり,道具を使うことを今やって評価してくれ,と言っているようなものではないのか.何万年も昔,それはすごいことだったかも知れないし,その凄さは現代であっても評価されるだろうけれど,今やったからといって評価できることなのだろうか?


いや、俺が言ったのは、判子絵は昔の人が目指したものが同じだから、ってだけで、(これは別の日に書いてしまった事だけれども)個性の無い創作物で培われた精神文化があるよ、それは日本人自身の事でもあるよ、と。
んで、判子絵は産業としてやっていく上で有利な点があるし、今の視点から見ても必要な要素を含んでいるから、その辺は評価している、と。
まぁ、今から未来にかけての話は別の日のエントリになっちゃったから、そこは問題だったと思うけど。
大体俺自身は、ダリをはじめとする現代美術の巨人達や、ルイス・ウェインを評価に値する作家だと思っているし、何よりエッシャー先生を尊敬しているんだけど。
逆にルネッサンス期の作家はどうにも好きになれんかったり。
「無個性な作品を肯定する以上個性ある作品は否定する」と考えてない?
俺、どちらかを肯定する以上どちらかを否定する、なんて極端な話はしていないつもりなんだけどなぁ。
大体の人はそうでしょ?、オタ的な萌え萌えな絵柄が好きだけど、それとは別に横山先生の絵が大好きだ、とか、心のポケットを複数持っているものじゃない?
俺自身そんなに芸術の歴史に詳しくないから、ツッコミ入るとしたらその辺りだと思ってたんだけど寂しいよその反論は!
っていうか、自分で「評価できる事なのだろうか?」と問いかけておきながら。

あぁ,断っておくと,私は別にエロゲ原画絵師個人を卑下したいわけではなく,同じような絵しか受け入れない市場(オタク)に問題があるのではないか?という話をしたい.先に提案した企画は,そういった均一化され,ある程度評価が楽な(均一化されていればされているほど評価される)絵柄しか評価できない,受け入れられない,没個性的なオタクたちに,「もっと才能とか個性を正しく評価できる集団になろうよ」と訴えたかった.


いざ評価している人間にこんな事言ってるんだもんな、俺に反論している奴は存在自体間違っている!、とでも言いたいのか。
あとまぁ「正しく」って凄い危険な言葉だよ、その「正しく」のせいで昔々個性的な作家達は評価されませんでしたとさ、それと同じ事を今、別のものに対してしているだけだ、あんたも「没個性なオタクたち」と何ら変らんよ。
さておくとして同じような絵ばっかりって事は人間のスペアが用意できるって事だ。
それは産業として優れている、製品を長く生産する事が可能になるから。
まぁ込み入った話は色々あるけれど商品として作っていかないといけないから、個性的な作品はそういう面で弱い。
というか他人の意見をさっぱり読んでねぇ、高橋直樹氏(とししょー)は、例えエロゲンガーだけに限定しても十分個性的な面々は集まる、と主張しているんだけど。
「アニメの絵柄が作画監督ごとに変わっても良いだろ!?」という意味合いなら、確かにベルカ式作画に文句垂れ流すのは貧しい考えだと思うけどさ。
この人の頭の中では、俺みたいなのは桶上いたる風の絵柄で描かれた創作物しか触れたくない、と思っているんだろうか。
そう言う奴もいるとは思うが、俺自身はただ単に萌え萌えな絵「も」好きだからエロゲやっているだけだし、同時にジャイアント・ロボもGガンダムウルトラマンも心より愛している。
俺は俺の感性と好みとその日の気分で愛するか否かを評価しているだけだし、そこに個性のきついのがいれば無個性なのもいるだろう、個性的か否かは問題にしていない。
そもそも「オタク」という集団に迎合した覚えも無いしな!
大体「評価が楽」って楽な批判だよねそれ、楽をしているから何が悪いんだ、と思うし。

”皆”そうでしょう.でも,ちょっとズレている作家も養えないような…そんな了見の狭いことでいいのだろうか?


まぁ、ここについては同意してるんですよ、俺もそういう意味の言葉をちゃんと書いているし。
だけど萌え萌えな絵柄だとかそういう以前に、技術的な拙さを指摘されて、だけど「俺の絵は個性溢れているんだ!」と抜かして、評価されないのが誤りだと言うのなら、それは了見が狭いとは言わない、ただの甘えだ。
きっちんと「仕事である以上芸術である以前に産業である」と俺は言っているんだが。
どれだけ個性的でも、産業として役に立たないような才能を評価しろというのはふざけている。
それは一人だけスタート前に走っても良い、という「特別扱い」だ、平等に評価はしていないと思うぞ。
いや、自分だけがそういった特別扱いをするのは悪くないんよ、信者ってそういう人種だし。
だけどこれ、読み解くと「自分の考えからずれているような集団は評価しない」という了見の狭い話だろ。

エロゲンガーに同じ構図で髪型・髪色,目の色,肌の色一緒で,目の形(タレ目・ツリ目)も一緒のキャラを描かせたら,たぶん違いが解らないだろう…


大爆笑、意味わからねぇ。
幾らなんでも八宝備仁と桶上いたるの絵柄くらい見分けつくだろ!?
エロゲンガーを集めても個性は出せる、俺は違うけれど、色んな人がそういった意味での反論を述べている。
ただ単に、貴殿の脳内にあるエロゲンガーの像が、現実のエロゲンガーとは大いに異なっているというだけだ。
まず、目と頭を養う事だ。


追記:あと、エロゲはエロゲである以上、抜かなきゃならんから。
その為に表現が均一化するのは致し方ないし、その流れこそ俺が以前言った、ルネッサンス期だのロマン派だの古典派だのの作家と同じだ、ってことなんだけど。
皮を剥いだハムスターの絵と、服を剥いだねーちゃんの絵、欲情に値するのは圧倒的に後者だからさ。
加えて俺自身は、絵的な良さと性的な意味での価値は分離して考えている。
要するに絵を絵と完結するんじゃなく、その絵を何に使うかが重要なのであって、産業と言ったのもその辺が重要。
見るだけで満足するものと、股間を勃起させる為に使う絵は別々の観点から話さないと駄目だかんね。