我が心、明鏡止水

とある魔術の禁書目録について追記、つか悪役理論。


つーか、要するにオリアナとかの偽善っぷりはサヨク臭いのね。
自分はえらいことしているんだから、それまでに傷つけた人々に対する謝罪はそれでチャラだろ、とか、身勝手な自己完結でなおかつ相殺法図っている辺り。
あなたの友人の社会的地位を奪い自殺に追い込みましたが、わたしは憲法第九条を守りみんなが幸せになれる世界を守りました、だから安心してください、ってとこか。
正直相殺でもなんでもなく、訳わかんない屁理屈こねているだけなんだが。
つまり著者は、読み手に途方もない不快感を与えたいのだろうか?、この手合いの悪役が気張る演出意図が真面目に理解不能、誰か教えてプリーズ。
俺なら開始早々ローラ様が如き麗しい悪役の手の平で踊らせ、最後は惨めに、惨たらしく、全ての虚栄をぶち壊し、ついでにお命を奪う事でカタルシスを発生させますが、いかに。


関連・ラスボスの演出が最悪なゲーム


ジアビスの批判箇所がヴァン師匠の正座に集中しててなんだかなー、ファンタジアは「母星を守りたいから」、シンフォニアなら「失敗した」ってーのが説得力になってるんだが、ヴァン師匠は情けないぜー。
あいつの駄目なところって結局、自分のやり方の是非を問うたら「信念だ」とか訳わかんない理由で誤魔化す所なんだよ。
例を挙げれば非常に分かりやすいんだが。
ヒトラーは反ユダヤ人主義という信念でホロコーストを行った」、さて、「だからヒトラーのした事は許される」だろうか?
少なくとも許す腹づもりのあるユダヤ人なんていねーよ、信念如きで正論になるなら全人類が幾らでも信念掲げるわ。
つかそもそも信念は物事の是非を測る尺度じゃねー、理想だの信念だの、ただの感情論なんだよ、あんなもの。
本人的には譲れない思いでもあるのかもしれんが、それで世界中の人命を天秤にかける理由になぞなりはしない。
少なくとも個々人の信念(この場合では預言を守る、という人々の願いだろうか?)を大切にしなければフェアじゃねーだろうが。
単にエゴイストならまだ救いがあるが、都合が悪くなったら言葉を濁すチキンなもので、だからヴァン師匠はラスボス演出云々以前にラスボスとしての風格が最悪、つまりアッシュをラスボスにしろと、そうすればきっと素晴らしい結果になったと思うんだ。
でもまぁデラーズ・フリートとかガトーの絶賛具合見るに、口先だけの漢らしさで案外騙せちゃうのよね。
あいつらの言動のどこに正当性があるのか説明して欲しいにゃー、戦争犯罪の意味も分かっていないでかいガキの兵隊が暴れただけにしか見えないのですが。
師匠も・・・、色々擁護できる点はあるけど、それ含めても独善的といわざるを得ない、個人的にGガン一の漢はアルゴ。
結局まー、悪役については色々と考えて欲しいんだよねー。
正直ガンダムだって見方によっちゃただの勧善懲悪なんだし、「悪役といえど一理ある事を言う」という演出は表面上効果的で格好良く見えるのかもしれんが、一本筋通すのは滅茶苦茶難しいよ。
人類は地球環境を汚しているから人類を抹殺しても良い、という奴にゃあドモンタンのお説教が待ってるぜ。
その意味で、魔王オディオは本当に一本筋通していたよな、あれは確かに秀逸だわ。

 ギャルゲー批評を考える


なるほどなー、という納得半分、何言っているのか分からないよ!、っつー未消化半分、って所ですか。
最後の纏めのところは、例えば奈須きのこ大先生のファンであって型月のファンじゃねー人の言い分を見れば分かるかな?
つまり武内さんは絵が下手だし、音楽はレベル低いしで奈須ワールドには不要、と短絡的に論じる奴ぁ、奈須ワールドが実はあの絵あの音楽だからこそ演出できている事に気づいちゃいない。
例えばシナリオが奈須きのこ大先生で原画が甘露樹、音楽が折戸さんだとしたら、そりゃ集客力はすごいかもしれんが一つの物語として演出できているかどうかについては未知数だし。
っつーか月姫の登場人物全てを別の絵師の絵柄に脳内変換して、それが月姫の世界観だとファンは思えるだろうか?
どこかの偉い人が「エロゲーはシナリオ・グラフィック・音楽・プログラムの総合芸術」だと言っていた覚えがあるのだが、まぁそういうこった。
シナリオ単体の欠点なぞグラフィックとスクリプト演出と音楽で補える、別のパターン然り。

 時代を経ることにカリスマダウンするエロゲ主人公たち


ボク、手足だけ伸びて心がちっとも成長していない図体でかいガキンチョどもが、反論なんて出来ない仮想の人物に対してやれガキだのやれヘタレだの嘲笑って自分が大人なんだと思い込もうとしているだけだと思うんだ。
正直、エロゲ批評で良く見かける「主人公がガキすぎる」とかいう論理に辟易してまーす。